8月15日月曜日

夏ばてが解消されない。食欲はない。からだ全体がけだるい。なにか重いものを背負っているような感じだ。
8月15日について考える。アジアの中の日本を考える。8月15日にして新たにそう考える。夕刊には、戦後60年首相談話の全文が掲示され、「首相反省とおわび強調」との見出しがある。NHKでは、日本人、中国人、韓国人をまじえて、「日本のこれから」と題して多くの討論が交わされている。日本人にも戦争の歴史認識の相違があり、靖国問題の認識の相違がある。もちろん中国、韓国の方々とも相違もする。僕は携帯アンケートに参加する。自分の意見を正確ではない質問と選択肢の中から選び答える。
「互いの痛み」を共有することで相互理解を図るということを考える。日本が侵略国として果たした、相手に与えた痛み。日本人が一部の指導者のもと戦争という大儀により、戦争に従事させられ、戦死せざるをえなかった痛み。ヒロシマナガサキの痛み。そして、民間人でありながら激戦や空襲などにより戦死していった方々の痛み。
NHKの中で、次のような発言があった。1972年周恩来は、日本から賠償をとるべきではないと判断する。賠償は、日本のこれからの若者に苦渋を強い、憎しみを与えることになるからだと。戦争の責任は一部の指導者にある、と。
歴史を忘れてはならない。しかしその歴史をどう評価するのか、史実をどう正確にとどめておくのか、日中韓の歴史史実の認識の相違が存在もしている。
いくら議論しても共通点は見出しがたい問題となってしまっているようだ。
ただ、今日の首相談話に今後とも偽りがないこと、今後とも永久に戦争に参しないことを願いたい。
首相談話においては「わが国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外の全ての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく正解の平和と繁栄に貢献していく決意です。」とある。
日本は20世紀イギリスやアメリカなどのアングロサクソンと供してきたとの見方もある。現にアメリカとは運命共同体ともいえる関係になっている。
歴史は動いている。戦後60年、国の歴史としても決して短くはない。アジアの中の日本を考えるという視点がなによりも重要になってくる。アジアの中で日本が孤立しないこと、否、反日感情をもたれている状況からもっと友好な状況になることを希望したい。

なんて書きながら、テレビではスマスマを見ている。シングル16曲をくちずさみ、コントをみて笑っている。今日も早く寝よう。まだ月曜日だ。