日本のこれから

昨夜のNHK「日本のこれから」では、出演した韓国人・中国人は、日本国内にあっては少数であり、その意見を聴いている限り良識を持つ大人たちであった。一方の日本人は、国内において多数であり、それだけでも有利な立場に立っている人たちである。大同にたち、良識のある方もいた。が、小異にこだわり、大同を軽視するかのような発言をする人もいた。小異は確かに正確かもしれない。否、正確であろう。
しかし、日本の行為が当時の国際情勢という状況で評価されるべきだという意見には賛同できない。失われた生命の大小が問題ではなく、侵略であったか、加害者であったかがその根底には必要であり、当時の国際情勢は正しい方向ではなかった。でも世界は当時の基準により列強支配を拡大させることに異を唱えなかった。いや異はあったが、国を動かす力にはなれなかった。
9.11で多くの戦闘に関係ない民間人が殺された。21世に入って初めての大きなテロ行為である。一方でイスラエルにおいては、パレスチナ人の子どもがイスラエルからの戦闘の被害をこうむり殺された。イスラエル人はパレスチナのテロ攻撃により殺された。テロの標的にあったアメリカには同情し、イスラエルからの攻撃をうけたパレスチナ人の被害者、とりわけ民間人には同情しないというのは正しいのか。また、イスラエル人の被害者には同情し、パレスチナ人の被害者に同情しないというは正しいのか。
その時々の、その場所場所での国家の置かれている状況により、歴史の状況がかわり、人の命に差が生じるのか。
人の命は、歴史状況というものに飲み込まれ、命の価値に差が生じることがそもそもの大きな誤りであり、間違いである。
昨夜のNHKの番組は前半までしか見れなかった。そこに見る側としての不快さを感じたからである。発言した、中国人・韓国人は、日本のスタジオにおいて発言した。勇気ある発言と思う。中韓両国の歴史認識が間違っているとしても、それは、両国の指導者によりもとらされたものであり、出席した中韓人の責任としては小さい。このことはまた日本人においても言える。
番組の後半はどうであったのだろうか。今となっては気になるが、いずれにせ目覚めの悪い夢の原因として、昨夜の番組があった。

僕は、不快さをぬぐうためにスマスマを観た。一時的な快楽により不快の解消を図ったともいえよう。最後まで直視できる勇気をもっていなかったとも言える。
その結果が今朝の悪夢につながった。午前5時47分。