コペンハーゲン

ネタバレです。

http://www.nntt.jac.go.jp/season/updata/10000120.html

ネタバレです。
3月2日に新国立劇場に観にいった。1日〜18日まで上演。

1941年のコペンハーゲンが舞台。マイケルフレインが98年に発表した現代演劇。日本では2001年に上演され、今回再演となる。
ナチス占領下にあるコペンハーゲン。ドイツ人物理学者ハイゼンベルクは、恩師のユダヤデンマーク人のボーアを訪れる。ハイゼンベルグとは、ヴェルナー・ハイゼンベルグ、1901年生まれの理論物理学者。「不確定性原理」を提唱。1932年に「パラーオルトの水素の発見に導いた量子力学の創始」でノーベル物理学賞受賞。42年ナチス・ドイツのウラン計画の実質的な指導者。
ボーアは、ニールス・ヘンドリック・ディヴィッド・ボーア。1885年生まれの理論物理学者。「相補性原理」を提唱。1922年に「原子の構造とその放射に関する研究」でノーベル物理学賞受賞。原爆開発をめざす「マンハッタン計画」の顧問ともなる。その後原子力の平和利用推進の先頭に立った。
もう一人、ボーアの妻、マルグレーテ。
(ここまで書いて、難解な背景にため息。)
俳優は3人、ハイゼンベルク今井朋彦、ボーアに村井国夫、マルグレーテに新井純。
核兵器が現れる直前の時代。そこに近いところにいた二人の物理学者。ナチスの秘密計画にかかわるハイゼンベルグユダヤ系物理学者を訪ねる。この1941年の11月の訪問は、なぞの一日となっている。(そうらししいです。)そこに演劇的解釈をほどこしての劇。3人での劇は、休憩をはさんで、3時間にも及ぶ。
正直、話が難しいところもあるが、内容としてはとても面白いものであった。ナチスユダヤ人を迫害し、ユダヤ人が得意な理論物理学を相手にしなかった。だから、ナチスは原爆を作れなかった?ハイゼンベルクが、原爆に触れず、原子力の研究にそそぐように仕向けた?、、、では、なぜ、ハイゼンベルクはボーアに会いに行く必要があったのか。そこには、ゲシュタポの盗聴など多くの危険がはらんでいたのに。その危険を冒してまで、何を話しに行ったのか。
もうすでになくなっている3人が、そのときを思い出そうとして話がすすむ。つまりは3人とも、もう41年の1日ははっきりと覚えていないのだ。

物理学者は、原爆を完成させ、しかも落とす必要もない日本に落とした。あれが、ドイツに落とされていたなら、、、。

新国立劇場の小劇場での演劇は、これが「やわらかい服を着て」「アジアの女」に続いて3本目。ここでの劇は、社会的でとても内容の濃いものが上演される。